コラム

幼児教育における親御さんの役割

幼児期の終わりまでに育ってほしい姿(10の姿)

文科省が推奨している「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿(10の姿)」というものがあります。10の姿とは、小学校入学までに育まれる子どもの具体的な姿を、10個の視点からとらえようというものです。

これまでは、「健康・人間関係・環境・言葉・表現」といういわゆる「5領域」によってとらえてきたものを、もっと具体的な姿をイメージして見ていこうというものです。

 

【社会性(協同・規範意識)】【いのちの大切さ】【人間関係】【いたわる心】【表現する力】の土台作りは、いわば非認知能力である「こころの発達の基礎づくり」

 

認知能力の基礎となる「知の発達」は“お勉強”のイメージがあるかもしれませんが、【数の興味】は後に算数に、【いきものや自然への興味関心】は理科に、【自分たちの身の回りの事象】は社会に、【言葉を介して行うコミュニケーション】は国語にと繋がっていくものです。

さて「こころの発達」ですが、これには大人による導きが必要ですが、目に見えないばかりに、どうやって引き出すか、関わる大人の“工夫”にかかってきます。

いずれも今、大人が考えるような完成された形での達成が必要なのではなく、その結果を「失敗」や「成功」と言葉でラベリングしないで本人たちなりに心がどう動いたかに注目してみましょう。

 

9才までに価値基準や自己哲学が形成される

9才で『心の理論』といわれる本人の価値基準や自己の哲学が形成されることは発達心理学上におい明らかにされていることですが、いかにこの年齢までに、ポジティブ・ネガティブ・その他様々な感情の体験をして、心の経験値を高められるかにかかっているともいえるのかもしれません。

ネガティブな体験を必要以上に避けてしまうことで、感じ方や価値観が偏るかもしれませんし、大きくになるにつれ問題が起きたときに解決できるしなやかな心から程遠くなるかもしれません。

 

近年「回復力(レジリエンス」という言葉が注目されています。

この力が後天的なものか、生まれ持ったものであるかは明らかではありませんが、ネガティブな経験のあとに(時間の差こそあれ)自ずとポジティブに向けられる力が必要とされています。社会に出たとき、「転んでも立ち上がれる力」のことです。

他者の手をかりながら、時間をかけても、ケガをしていても、立ち上がれたらOKなのです。小さな子供だから、と大人の都合でネガティブな体験を仕分けず、彼らの成長を信じて、応援しつづけましょう。

 

「知の発達」とは

「知の発達」は、学校教育では教科として判断されますが、教科そのものが得意につながるというよりは、それぞれ好きな思考法なのだと把握することもできます。

【数の興味】は、不必要な言語を介さずに根拠のある理論が好ましいと見なせますし、【いきものや自然への興味関心】は、自分とそれを包む世界の要素とその摂理を想像できる視野の広さ、【自分たちの身の回りの事象】は、コミュニティやそのシステム、人間関係に興味をもっているのかもしれませんし、【言葉を介して行うコミュニケーション】は、表現活動の一つとして言葉の意味や概念を獲得しながら人と対話することに焦点を置いているとも見れるでしょう。

幼児期にこれらのどれを好むのか、遊びや活動を通して知ることができます。ゲーム、虫取りや雪遊びなど野外活動、図書館や駅といったお家以外の場所、同年代でのお友達との関わりから十分にその素地を確認していくことが可能です。

 

幼児期の彼らは自分の可動域を確かめます。

身体がどこまで動かせるのか、興味があるものにどれだけ出会えるか。興味関心を知的好奇心・探求心にと向かわせるのは、何よりこども自身の「感動体験」があるからに他なりません。幼児期に「親の恣意」「親のラベリング」をコピーしますと、彼らは本来の力が発揮できません。もしそうなると、彼らが“自分の考え方”を認識できるまで時間がかかってしまうでしょう。人生を遠回りさせてしまう恐れもあります。

親が強いることは、こどもの生まれ持った考えや気持ちの育ちを阻むことになります。何をどう興味をもつかがわかるまで色々な「体験」をしてもらってほしいと思います。

 

人はみな自分を表現できる術をもちたいと願っています。

それが何か。

開けて楽しみになる「宝箱」のようだと思いませんか。

幼児の彼らに色々な世界を案内してあげられるのは、やはり親御さんです。

 

親御さんに少しコツをお伝えします。

幼児さんの「難しい」をまともに受け取らないことです。幼児さんはとても感情的でメタ認知がありません。「難しい」という言葉であらゆる複雑な感情を片づけているだけかもしれません。「難しい」という認識をもてること自体、既にかしこいですし、ひょっとしたら気分でそう伝えているのかもしれません。

幼児期に、数週間や1ヶ月と短期間でたくさん色々な習い事を始めたり辞めたりするぐらいなら、いっそ絵本を1冊毎日親御さんの声で読み聞かせしてあげる方がよっぽど幼児さんの発達に有効です。

習い事の目的は、

・こどもが“ちょっと好き”なことを“ずっと好き”になるかの試金石
・こどもの新たな一面を知れる時間
・こどもが「学びや」以外でコミュニティをつくる体験

と捉えて頂くと、親御さんの見守り方も少し肩の力が楽になるのかなと思います。

 

また、習い事に入れた場合は、教室ならびにその教育方針に任せて委ねることで上手く運びます。教育方針が親御さんと教室でぶつかり合いますと、こどもがどっちにも流れず、残念ながらせっかく習い事をしても効果がでません。

どんなに気軽な習い事でも、特に幼児さんを受け入れる教室には必ず根底には教方針が存在します。ですので、習い事を選ばれるときにはまず、『親御さんの考え方と大体マッチしているか』というチームティングを考慮に入れると長い目で見たときに親御さんに負担がかからない方法でもあります。

 

習い事の教室に入ってから、親御さんたちの方針に変えさせようとしたり、教室の方針に沿わないでコンテンツだけでいいからという割り切り、はあまり効果的ではありません。なぜなら、親御さんのそうした言葉に出さない思いや考え方が、子どもの前では行動として表れ、それは習い事に対してこども本人も同じような姿勢が知らず知らずのうちにコピーされてしまうのです。

ですので、本当に子どもに合っているかなど先に挙げた目的を見る以前の話になってしまいます。

 

みんながみんなお互い手を取り合って育むことが、幼児期には不可欠です。